-Unbalance + Automatic-   津村ユキヲnote

日記-雑感-その他     

アート活動履歴

  ◆プロフィール◆

 

自己紹介としてツイッター@tsumurayukiwoでは次のキーワードを使っています。

 

 ・中二病

中二病とはオタク系の文脈から来た言葉です。大人になりきれない人間=中二病という程度の理解でいますが、とりあえず自分はマンガメインでその他いろいろオタクです。

 

造園職人

職人です。木とか植えたり剪定したりとかします。まだまだ未熟です。

職人歴18年くらい。

 

農民芸術家

宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」からとった言葉です。ちょっと他の芸術家と違うかもしれないという程度の自己アピールです。

 宮沢賢治 「農民芸術概論綱要」 その要諦 - -Unbalance + Automatic- 津村ユキヲnote

 

・ヒライスト

SF作家平井和正の熱狂的なファンを指す言葉です。大きな影響を受けています。彼も偉大な中二病作家です。

 

・あと1974年生まれ、既婚。何故か介護福祉士の資格は持ってる。芸大とかいわゆる美術教育というのは受けてないです。

 

 ◆アート活動履歴◆

 

2007年「旧坂出警察署お別れプロジェクト/裏独房展」(香川)
http://www.geocities.jp/mitsuihck/dokubou.html

廃墟となっていた旧警察署を舞台としたプロジェクト。工務部部長としてスタッフ参加していたが、自分でも作品を作りたくなり、当初は予定されていなかった居住区画部分にてインスタレーション作品を展示した。

 

○作品

メメント・モリ~死ヲ想へ~

http://tsumura.hatenadiary.com/entry/2015/12/26/093318

居住区画部分の一室に鳩の死骸や糞が大量に散乱している部屋があった。

それらを青色照明で照らすことにより、作品とした。

 

魔胎

http://tsumura.hatenadiary.com/entry/2015/12/26/093038

上述の部屋の一隅には鳩の卵が残っている部分があり、卵内部から赤い光を漏らすように細工したものをもって作品とした。

 

タルタロス~奈落~

http://tsumura.hatenadiary.com/entry/2015/12/26/093158

居住区画の一室を、いわゆる「ゴミ屋敷」のイメージで構築し、閉塞と絶望、かすかな希望を表現しようとした作品。イベント会期中に出たゴミも使用した。

 

 

2014年「旧藤田外科アートプロジェクト/前期展」 (香川)
http://fujitaap.jimdo.com/

 「旧坂出警察署お別れプロジェクト」主催者に誘われ、アーティストとして参加。

廃病院を舞台としたグループ展。前期と後期とではディレクターが異なっている。

 

○作品

アロエ観音 執刀準備完了

http://tsumura.hatenadiary.com/entry/2015/12/26/093434

「手術室」にて展開したインスタレーション作品。

人間の営為を超越したアロエ観音という神(仏)の出現とパフォーマンス。

以下作品の解説として書いた文章。

 

「聖アロエ観音 執刀準備完了」について


昔、ちょっとした趣味として廃墟巡りをしていた。

荒廃した建物や設備は、人の残したカオスと化したモノと共に「自然」である草や木、枯れ葉、動物の痕跡といった、人間にとって好ましからざる存在の侵略を受け征服されていた。

我々の生きる国・文明は、遅かれ早かれいずれ全て廃墟となり消滅する。

壊し、また創る。そういった文明のサイクルを人間が永続していけるなら、維持され発展もしていくかもしれないが「モノには限度がある」。

人間という一個の生命、あるいは国という存在。また文明そのもの。
それは有限であり、いつか終わる。これは決定されていることなのだ。
対して、「自然」は無限であり、終わるということはない。自然とは宇宙の営みそのものであるからである。


人間は自然には敵わない。
我々はつい三年前にもそれを体験したはずである。
日本人は国の在り方として、文明の一つの在り方として常にそれを意識してきたように思う。それがゆえに八百万の神々はいまだに人々の心に在わす。

 

「聖アロエ観音」は無人の廃墟と化した外科医院に外部から侵入してきた神(仏)である。

医者のいなくなった空間であるがゆえに、別名「医者要らず」であるアロエ観音は光臨した・・・。
脇侍を従え、怪しげな手術台と手術道具を用意してこれから切除手術を行おうとしているのは、あなたの心の中の「悪しき奢り」である・・・。
手術台は華奢なので体重の重い人は乗らないでください・・・。


諸行無常 唯仏是真

 

妻とうどん

http://tsumura.hatenadiary.com/entry/2015/12/26/093534

前期展は期間中さらに前半後半とにわかれており、アロエ観音撤収後に二階病室

205号にて写真を使った作品を展示した。尚、205号室は全四人の相部屋展示。

以下、その解説文。

 

「妻とうどん」について。

 

 妻(アガリコ・モガリ)は写真家である。
写真家とはなにか?
いろいろと見聞を深めた結果、どうやらそれは写真を愛するひとのことらしい・・・。
と、理解した。

はたして自分は写真家であるや否や?
それはわからないが、ここでは自分はアーティストという立場でいる。一応。

妻がうどんを食べる姿を2007年交際をはじめて以来、結婚して約四年目になる現在、そして未来・・・。自分は撮り続けるだろう。撮りたいから。

その写真群をもって、ひとつの現代アート作品として提示したのが本作品である。

              

 

2016年3月13日~5月6日 坂出アートプロジェクト (香川)

https://sakaideart.tumblr.com/

 

作品名:藤田大権現薬局開店準備中

(下記リンク先に画像)

http://tsumura.hatenadiary.com/entries/2016/03/26

 youtubeに動画上げました。

https://www.youtube.com/watch?v=ETW7ONlY6Vw&feature=youtu.be

 

以下解説文。

 

作家名:津村ユキヲ 

作品名:藤田大権現薬局開店準備中  

(Fujita Daigongen pharmacy is in preparation)

 

<作品解説>

 

 成長する植物と雑多な工芸品等を配置したインスタレーション作品です。

アロエ観音」と自称する妖しのモノが「藤田大権現」という雑草の神を勧請し、助手の「詐梵天」と共に薬局を開店しようとしている、と云う設定を持ちます。怪しげな薬草や宗教的オブジェを置くことで、あえていかがわしさを演出しています。

 

 作品のテーマとして、「雑草」というものについて焦点を当てています。

「藤田大権現」を構成する植物は病院の庭に生えている自然の雑草を利用しています。

私は、雑草はコントロール不可能な「自然」の象徴と捉えています。この雑草の力を表現することにより、人間の営為の無常、そして自然の無限について感じてもらえれば、というねらいがありました。

作 品の一環として、鑑賞者に雑草に親しんでもらおうという意図で「庭の雑草に名札をつけよう!」という体験型企画を会期中に行いました。作品の草木の成長に 合わせるかのように、庭のそこかしこに増えていく名札。この企画も含め、今回の作品は「生きて成長するアート」を実現することができたと思います。

 

補足

雑草の名前 - -Unbalance + Automatic- 津村ユキヲnote

  

 

はてな日記

○Unbalance + Automatic ※ and I love you  2004年~2007年 29歳~32歳の情念ノート

 

写真、詩、落描き等多数収録しています。

妻との出会いと決意をもって一応の締めくくりとして完結しています。

近くブログサービスで一冊だけ書籍化してもらう予定です。

 

 補足記事↓

本が出来た - -Unbalance + Automatic- 津村ユキヲnote

 

 

 

 

 

 

 

宮沢賢治 「農民芸術概論綱要」 その要諦

宮沢賢治は過激な理想主義者である。そしてそういう人はたいてい、今でいう「中二」である。

まあ言ってることは過激でも、やってることは実は中途半端とか、よくありがちなことであるが、そういうことも含めて中二であるといえよう。

 

以下その要諦というか、部分コピペ。

 


序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

 

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である


農民芸術の興隆

……何故われらの芸術がいま起らねばならないか……

 

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

 

われらは新たな美を創る 美学は絶えず移動する

 

神秘主義は絶えず新たに起るであらう

 

なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

 

風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

職業芸術家は一度亡びねばならぬ

 

まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう

 

……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……

 

永久の未完成これ完成である

 

畢竟ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである

 

 

農民芸術概論綱要自体は青空文庫化してます。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html

 

 

検索していて見つけて、すごく難しい文章なのでだいぶ斜め読みしたが、正鵠を得た解説(論)だよなあと思った文書がこちら。

リンクが切れててどなたが書いたかわかりませんが。

 

農民と芸術  ─宮沢賢治の『農民芸術概論』

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4208/unpublished/farmer.html

 

 

宮沢賢治、自分は好きだけどキライです。きっと自分と同じ中二だからでしょう。

宮沢賢治童話作家であり、詩人でもあり、庭園デザインまでしたことがあるという実に多彩なひとですが、「農民」(彼流のイデオロギーに基づく)たらんとしたひとでした。

まあ、そんなことを踏まえて、自分は「農民芸術家」と名乗ってみたりするわけです。